ケーキも切れないし日常のことが色々できない司法書士のブログ

組織に属しておらず守られてない分、いいたいことはいわないと損した気分になる器の小ささ。

貧乏人が更なる貧乏人と比べられると切なくなる。

ハタチくらいのとき、工場の現場作業員として元気に肉体労働にいそしんでおりました。思えば、あの頃はいくら食べても全く太らない。若いのもあったけど、消費カロリーに摂取カロリーが全くもって追いついてなかったんだろうね。缶コーヒーはミルクと砂糖たっぷりのフルスペックで甘いヤツを3本くらい飲んどった幸せな時代でございましたよ。そしてどうやら幸せだったらしいことがもう1つ。それは年収。どうやらわたくし、高所得だったらしい。高卒のハタチの茨城県民の割には。茨城といえば今年、魅力度ランキング最下位を見事に奪還した日本のアマゾン。誰も住みたがらない未開の地。たまに物好きな冒険者がまだ発見されてない原住民がいてソイツが怪しい神様でも信じていないか肝試し感覚で見に来るくらいですよ。そんな茨城で400万円もお給料をいただいていた私はとんでもない果報者、スーパーラッキーボーイ、あらゆるものに「恐悦至極にござりまする!」といって床に頭をこすりつけて圧倒的感謝をしなければならない人生の勝利者だったそうです。でも、400万円よ。わるかないかも知れないけど思いたいじゃん「オレにはもっと価値がある!」って。実際、とっても難しい試験である司法書士試験を突破した今のまろはさすがに400万ってことはないわけでおじゃる。たぶん、貧乏な人に「世界をみろ!オマエより苦しんでる人がいっぱいいるぞ!!」といってもあの時のオレとおんなじ気持ちになるだろうな。貧乏そのものが辛いんじゃなくて、「本当はもっと価値がある自分なのに貧乏人になるような評価しか世の中から受けていない」ことが辛いんだろうから。貧乏諸君!!だったら頑張って結果で見返そうぜ!オレも一緒に頑張るからさ。

社会貢献と声高に叫ぶ傲慢

認知症の人の財産管理の仕事をしております。これを成年後見業務と言います。そして司法書士の中には、後見業務に特化した組合のようなものがありここにいると時折仕事がまわってくるのです。行政に一人暮らしの老人が徘徊してるだのなんだのと相談があると、そこから行政に「成年後見人」が必要と判断する、司法書士が向いているんじゃないかと行政が思うその組合に仕事がきて仕事が割り振られるのです。この司法書士の組合を「リーガル・サポート」といいます。ここに言わせると成年後見業務は「社会貢献」なのだそうです。司法書士は認知症のお年寄りを詐欺師から守ったり、お金ない人には生活保護を受けさせたりする弱い人の味方のヒーロー。ビジネスでお金欲しいからやってますなんていうと、まぁ組合活動に熱心な人には変な顔されるでしょう。怒られるかも知れません。でも傲慢だと思うのよ、この考え方は。だって報酬はいただいてやります。その意味では他の仕事と変わりません。この世の中に仕事に社会貢献になってない仕事なんてあるのでしょうか。あるよ。危ないクスリ売るとか。でもさすがに世の中に迷惑かける仕事は法律で禁止されてます。ラーメン屋さんはおいしいラーメンを作って食べる人の心とお腹を満たす、工場でライン作業してる人は様々な工業製品を作って人の生活を豊かさや便利さをもたらす、警備員はそりゃよぼよぼおじぃで弱そうなのもわんさかいるけどとりあえず変なのがいたらササっと警察に通報するくらいのことはやってくれる。社会貢献になってるからお金をいただけとるわけです。その社会貢献の度合いや価値を誰がどんな基準で比較できるのでしょうか。つまり、社会貢献だというとまるで成年後見業務は他の仕事より社会貢献度が高いと言ってるみたいで傲慢に感じるのですよ。むしろお金を頂戴する以上「ビジネス」とか「仕事」と言った方が謙虚だし人からも信頼されると思う。だって世慣れた大人が「お年寄りを守るために時間も手間もかかるし横領してるんじゃねーかと言いがかりもつけられて嫌な思いするけどウキウキでやってます。だって社会に貢献したいから♪」と言われて「なんて信頼できる人なんだ!」って思うかね?むしろいかがわしいと思うか珍しい生き物と思うか思想強めのややこしいヤツと思うのではないか。普通に「大変ですけど、仕事ですからね。一応みんなに喜んでもら
えることもあるし」くらいにしといた方が「あっ考えてることオレと一緒」みたいになって不気味に思われずに済むと思う。

守るから弱くなる

今日はふと思ったことをつらつらと。ちょっと前にメンタリストのDaiGo(表記を間違えると違うダイゴさんになるんでめんどい)がホームレスがいなくていいだのなんだのと言ってワ二ワニパニックみたいにたたかれました。一方、司法書士の竹内さんはときどき入る借金の減額交渉の仕事をこなしておりました。サラ金でお金をつまんでる人にははたから見ると「その仕事辞めて、とりあえず実家に帰って体勢立て直した方がよくない?」と思うこともよくあります。正社員でもあるまいし本人の夢とか目標につながるというわけでもない、だったら実家かえって生活費をズドンと下げて、その中で実家から通える仕事を探したほうが生活を落ち着けられると。でも親と仲が悪かったり、東京に生活の基盤があるとかで帰る人はお見かけしないんですな。もちろん親がとんでもないバイオレンスおじさんとかで帰れないとかはあると思うけど、仲悪いくらいなら頭下げりゃいいだけだし東京での生活つったってちゃんと仕事がないんじゃ今この時点で正常に生活できてないでしょ。もっと上手く世渡りしたり人にお願いしたりができれば楽にいきれるのにそれができないで「わたくしめは不幸でございます。」みたいな顔してる。そしてDaiGoさん。そりゃ言ったことはよくないしあれだけ著名な人なのだろうから叩かれるだろう。でもDaiGoさんをいくら叩いたところで、今ぜんぜんお金ない人がピンチを切り抜けるわけでもないのだ。DaiGoをしばき上げるのもいいが、それを見た生活ピンチ軍団の溜飲が下がって「あっ私わるくない。このままでいい。」と思ってしまったらかえってそういう人たちにとってマイナスだ。だからまぁ知的障害があるとかうつ病とかの事情がある人は別として、とりあえず普通に行動できる人は努力が必要だと思う。努力といってもそんな血の滲むような努力じゃなくて、頼れる人には「あの時はごめんなさい。今大変なのでどうか助けてください」ととりあえず言うことだ。自分の感情をコントロールして人とうまくやろうとすることだ。生活が落ち着いたら、更に安定させ自分を向上させるために知識や能力を少しづつでも増やすことだ。と、書きながらこれ全部オレにブーメラン。オレも毎日ちょっとずつ成長しよう。